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ラバウル基地について [歴史]

艦これでラバウル基地に着任したと言う事で「ラバウル基地」についてを
書いていこうと思います。

ラバウルと聞くとやはり航空隊をイメージに出てきます。



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ここでは大日本帝国海軍、及び同陸軍の戦闘・爆撃・偵察・水上・各航空隊が集まり
総称としてラバウル航空隊と呼ばれていました。

激戦区でもあったラバウル航空隊は数多くの作戦に参加。多くの名パイロットを輩出しました。

日本軍の基地としての歴史は、1942年1月23日には日本軍が占領し、1942年11月20日着任した
今村均陸軍大将などの指揮によって東南方面への一大拠点が築かれる。
連合国側にはラバウル要塞と呼ばれ、帝国陸海軍9万の将兵によって自給自足体制による
食料の確保と、堅固な要塞を築き上げていた。

連合国側は無理に占領せず、包囲作戦にとどまり日本軍は終戦まで維持していた基地でもあります。

そして、まんが界の巨匠 水木しげる先生はここで左手を失っております。





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